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多様性の問題はなぜ起きるのか―人間関係における「価値」の視点

「多様性」という言葉は現代を象徴するものだと思う。実際にこの言葉は、それまで存在を顧みられることなく、不遇を強いられていたマイノリティーに、光をあてた。私自身も、「人と違う」のはこれまでの人生で悩みの種だったけど、この価値観が世に浸透したおかげで、かなり生きやすくなった。多様性というのは私にとっても人類にとっても必要不可欠なものだ。

 ただ、現実の人間関係やSNSを見ていると、「本当にうまくいっているのか?」と感じる場面は正直少なくない。むしろ、以前より気を遣う場面が増え、関係がぎこちなくなっている気がする。本当に言わないといけないことすらも、言えなくなっている人もいるそうだ。

 こういう感覚は、自分だけでなく他からも割とよく聞くが、それがなぜ起きているのかは、あまりはっきり語られないことが多い気がする。「理解が足りない」「もっと受け入れるべきだ」という説明で終わってしまうことが多いが、それだけで説明できる違和感ではないように思う。

目次

①集団は多数派に最適化される

 そもそもの話、 人間の集団というのは多数派に合わせて動くようになっている気がする。ルールとして明文化されていなくても、自然と「多くの人がやりやすい形」に空気がよっていく。会社・学校という人数が多くなると「普通にできる人」が基準になって、それに合わせて全体が回ることが多い。

 これは誰かが「排除しようとしている」というより、そうならざるを得ない構造なんだと思う。民主主義がいい例だろう。民主主義の欠点もよく言われるが、だからと言って「他のものに変えよう」とはなっていない。結局、そうしないと集団が安定しないのだろう。

 私自身は、今ではある程度の協調性を身につけて、その空気に合わせる側に回ることもある。でも以前はズレる側に回ることが多かった。両方の経験を経た今、これは単純な善悪の問題ではなく構造の問題に近いと考えるようになった。

②排除は「違い」ではなく「負担」で起きる

 その中で、少数派の人たちが上手くいかない場面を見るとき「違いがあるから嫌われている」というよりは、もう少し現実的な理由があるように感じている。

 正直に言うと、「どう関わればいいか分からない」とか「少し気を使う」という感覚が積み重なって距離が出来ていることが多いように思う。私も今までの人生で、幾度となく自分に対してそういう視線や感情を受けてきた(気づかないふりしてるけど、だいたい分かります)。それに今となっては、いくらかの人に対しては、自分自身の中にもある感覚で、他人事では済まされない。

 つまり問題は「違い」そのものではなく、「関わるうえでの負担」や「意味の見えにくさ」にあるのではないかと思う。違いがあっても、それが上手く人間関係の中で機能していれば問題にはならないがそうでない場合に距離が生まれる。

 「負担をかけるだけで?」と思う人もいるかもしれない。だが、そもそも良い対人関係の維持には想像以上に体力や精神力を使うものなので、その上「他の人よりも気を使う」という項目が追加されるのは、かなりのデメリットになるのだ。

 このあたりは、きれいごとでは説明しきれない部分でありながら、リアルな人間関係でかなり強く働いているように感じる。

③人は「価値」で関わっている

 ここで一つの仮説として見えてくるのが、人は「価値」で関わっているのではないかという点だ。

 これは打算的な意味だけではなく、「この人と関わる意味があるかどうか」と言いう感覚に近い。安心できる、話しやすい、一緒にいて負担が少ない―そういうものも含めての価値だと思う。

 自分の経験を振り返ってみても自然と関係が続く相手と、そうでない相手の差は確かにある。その違いは何かと考えたとき、「努力したかどうか」よりも、「関係が成立しやすかったかどうか」のほうがしっくりくる。仮に自分に自信がなかったとしても、相手の方が自分と関わる意味を見出している場合は、人間関係は続きやすかったと思う。

 少し厳しい言い方になるが、関係というものは自然に成立するものではなく「成立する条件」が揃って初めて続いていくものなのかもしれない。

 だからこそ集団の中で関係を築くには、自分と関わる意味を何かしらの形で持ってもらう必要が出てくる。それは自分を無理に変えるというより、自分の持っている要素がどう見えているか、どう伝わっているかの問題に近い。それでも、そのためには、まず相手からみて自分がどのように見えているのかの、見当がついている必要があり、その上で自分の魅力を考えなければならない。だから、実際のところ結構難しい。

 このあたりの内容は私自身もだいぶ悩んできた部分だから、今でもいろいろと思うことがある。

④本来の多様性とは何か

 多様性という言葉は「自分とは異なる性質の人を受け入れること」として語られることが多い。ただ、ここまで考えてくるとそれだけでは少し足りないのではないかと思う。

 実際には、違いそのものよりも「その関係が成立しているかどうか」の方が重要なのではないか。異なる人同士がそれぞれの価値観を持ち寄り、「一緒にいる理由」が成立している状態

 それが結果として多様性のある状態なのではないかと感じる。

 人と違うから関わるのではなく、同じように価値を持つ存在だと感じるから関わる。その前提があって初めて、違いが意味を持つ。

 ただ、それまでの道のりは容易ではないだろう。いまでも、この考え方は人によってはかなりきついと感じるのではないだろうか。

 それでも、私は現実の人間関係や本当の意味での多様性を考えると、この視点は無視できないと感じている。

まとめ

 多様性が上手くいかない理由は、「違い」そのものではなく、「関係が成立するかどうか」にあるのかもしれない。

 人は単に異なる存在を受け入れるのではなく、「関わる意味」を感じられる相手と関係を築いている。そのため現実の集団では、違い以上に「どう関わるか」「関わる理由があるか」が重要になってくる。

 もし人間関係に違和感を感じる場面があるなら、「違い」に注目するだけでなく、「関係が成立する条件はなにか」という視点から見てみると、少し見え方が変わるかもしれない。

 この考えがすべてを説明できるわけではないが、少なくとも現実を捉える一つの視点にはなると思っている。

 このテーマについては、まだ取り残している部分があると感じるので、また別の記事でも取り上げると思う。

 あと、私がこの「人間関係における”価値”の視点」の重要性に気づくまでの経緯や、気づいてから私がどうしたのかについての、より個人的な話はnoteに書き次第ここにリンクを張るので、興味のある方はどうぞ。

ささやかながらも私がしてきた経験が、今も同じように悩んでいる方の役に立てれば嬉しい。

 

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この記事を書いた人

こんにちは! 天音(あまね)と申します。
読書を通して考えた、「今の時代が生きづらいのは”人間の本質””自然本来の姿”からかけ離れているからだ」という仮説のもとに、このブログではそれら(に近いと私が思うもの)を日常の言葉に置き換えながら分かりやすく紹介ています。毎週1記事。noteでも書いているのでぜひ遊びに来てください。

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