「自分は何のために生きているのか」
この問い自体は、誰もが一度は考えたことがあると思います。 ですがこれは今、かつてないほど緊迫した形でより多くの人の心に迫ってきていると感じます。
戦争やそれに伴う物価の上昇。社会保険料で給料の半分近くを引かれ、手取りは上がらず。将来に対する希望も持てない昨今の社会状態は、確実に今の私たちの心をも蝕む。余裕のない環境の中、職場でも学校でも家でも、ギスギスした人間関係の中でメンタルを病む人が本当に増えている。本当に「ただ生きること」それすら命がけの大変な時代。
そんな中で私が日々思うのは「何を心の拠り所にしたらよいか」です。
この記事では、これから始める私のブログの自己紹介を兼ねて、このような時代を生きる為には「人間の本質」「この世の成り立ちの根本」にもう一度立ち返るといいのではないか、という私の考えを「多様性」「合理主義とスピリチュアル」「本質」というトピックを通して紹介しています。
この記事で皆様の心に、何か引っかかること、生きる為のヒントのようなものが芽生えたら幸いです。
①多様性の時代、なのになぜか生きづらい
今はかつてないほどに「多様性」や「個人主義」の価値観が尊重される時代です。好きな生き方を選び、好きな価値観を掲げ、自分らしく生きる。本来それはとても、豊かで自由なはずの価値観です。
しかし現実には「どう生きればいいか分からない」「何を基準に選べばいいのか分からない」と感じる人が増えている。昨今のSNSでは自由と身勝手の区別がついていない人も。人々の「違い」が強調され過ぎて、属性が異なれば、まるで理解できない別の生き物のようにお互いを感じてしまう。人によって超えてはいけない境界線が大きく違い、超えてしまった時の制裁が大きくなっている。人と交流することが難しくなりました。
もちろん、必要な配慮は怠ってはいけませんし、人を容易に傷つけるのもダメです。自分の日々の言動を顧みる人が多くなったのがこの時代の最大の利点だと思ってます。
ですが、かつては社会の中にある程度の「正解」や「こうあるべき」という軸がありました。けれど今はそれが見えにくくなり、「正解がないこと」そのものが不安になっています。そのせいで自分の生き方に迷ったりする人や、振る舞いや価値観が極端になっている人がでてきている。
さらに「自分らしく生きよう」という言葉さえも、どこか世間から求められているように感じることはないでしょうか。多様性に応えようとすること自体がプレシャーになっている逆説的な状況が生が生まれているようにも感じます。
これからの社会をよりよいものにしていくためには、「多様性」や従来からの「常識」とは別に、この社会にいる人全員に「共通する基盤」となるルールを新たに設ける必要があるように思いましす。
②合理主義でもスピリチュアルでも埋まらない違和感
また今は「合理主義」の時代でもあります。コスパ、タイパ、効率性を重視した言葉があちこちで飛び交い、動画は倍速視聴が当たり前。仕事でも学校でも家でも、競争や効率を求められる日々に疲れ息苦しい。
一方で、「ありのままの自分が一番素晴らしい」という現状全肯定のスピリチュアルにも距離を感じる。確かに「ありのままの自分」をまず認めることは大事なこと。でもそれが「一番素晴らしい」となってしまったら成長がなくなってしまいます。
そんな”どちらにも寄り切れない感覚”を抱えている人も多いのではないでしょうか。私自身もそうでした。
さらに、学問の世界では、科学は世界の仕組みを明確に説明してくれますが、「意味」「価値」は教えてくれません。哲学や宗教は深い示唆を与えてはくれるものの、現実から浮いて感じられることもあります。
ただ最近私は一つの変化を感じています。
科学・哲学・宗教、そして芸術。これまでに別々に見えていたものが、昨今の伝統を再評価する風潮や自然尊重の空気と相まって、すこしずつ同じ方向を向き始めているのではないか、と。
そして、それは「人間とは何か」という問いに、改めて向き合おうとする流れだと思います。
③だからこそ「本質」に立ち返る
だからこそ今必要なのは、「どれが正しいか」を選ぶことではなく、一度立ち返ることだと思うのです。
--人間とは何なのか
--この世界はどんな成り立ちをしているのか
古典を読んでいるとつくづく思うのです。その時代ごとに重視される価値観は違えど、「人間の本質」というものはどれだけ時代が経ってもそんなに変わらない、と。千年前に生きていた人々と今の私たちの間には、心も社会も自然も一番深い部分では、同じ構造を持ってつながっているのだと。
このブログ「真善美の世界」では、ある思想をベースにしながら、そのエッセンスを日常の分かりやすい例にたとえて紹介していきます。
「へ―そういう見方もあるんだな」「じゃあ、あの場合はどうだろう」、あるいは「それはちょっと違うんじゃない」という、読まれる皆様の中に”考える余白”を残すことを大事にしたいと思っています。
記事はここでの投稿のほかにnoteでも書いていこうと思っています。ここでは、できるだけ論理的でわかりやすい専門性を。noteの方では、ここと関連する内容に関する私のより個人的な考えや内省や経験談をつづっていく予定です。
各自毎週一記事の合計二記事。皆さま、時間が空いた時また是非お立ち寄りください!
まとめ
この記事では、厳しい今の時代「何を拠り所にしたらいいか」を一本の軸にしてお話させていただきました。
まず最初に、多様性の時代の生きづらさについて。それまではある程度存在していた「正解」「こうあるべき」と言った価値観の喪失と合わせて、これからの社会ではそれら(多様性と従来までの正解)とは別に社会全体が共通の基盤やルールを共有する必要があること。
そして次にはこれも現代特有の合理主義とスピリチュアルに多くの人が抱えている”どちらにも寄り切れない”感覚。
それでも次第に各分野(科学・哲学・宗教・芸術)が共通の方向を向き出していて、それが「人間とは何か」について改めて向き合おうとする流れじゃないのかということを、そして最後に、人間の本質は時代が変わっても普遍的であるということを。あと私のブログの紹介です。
ここまで私の拙い文章を読んでくださった皆様には感謝しかありません。未熟ながらも、これから記事を書き続けていくことで、文章も内容ももっと読みやすく充実したものにしていくつもりです。読者の皆様にとって、読むことで「少しだけ考え方が変わる」「少しだけ生きづらさが緩む」そんな”拠り所”になれることを目指して。
皆様、今後ともブログ「真善美の世界」をよろしくお願いします。
